2011.05.07

人生の意昧が、8歳の男の子にも分かるのか!

米ミシガン州在住のリック・タツムというクリスチャン男性が、以下のような体験談を書いている。
ある朝、8歳になる息子がソファーに横になりながら読み物をしていた。彼は難解な言葉に出合ったようで、私に質問してきた。
「お父さん、ポンダー(ponder)ってどういう意味?」
私は、この前その言葉を使ったのはいつかも思い出せないまま、辞書に手を伸ばした。その場しのぎの定義を与えて、後悔しないためであった。
「ポンダーとはね、何かについて思案している状態、考えている状態のことだよ。例えば、『僕は人生の意味についてボンダーしている』などと言うのだよ」
そこまで言ってから、これは失敗だったと感じた。「人生の意昧」という言葉は)欠の質問を生み出し、神学的、哲学的議論へと発展するだろう。そして最後に私は、「お父さんには分からない。神秘なんだよ」と言う羽目になるだろう。
ところが息子からは予期せぬ回答があった。
「人生の意味なら、僕はすでに知っているよ。『神を愛すること 』だよ」
posted by seisyo at 11:02| 聖書

2011.03.31

キリスト教擁護者の一文

C・S・ルイスは、アイルランド系のイギリスの学者であり、多数の本を著したキリスト教擁護者としても知られている。その彼が、以下の一文を書いている。
ある選択をするたびに、私たちは、それまでとは違った方向に自分を導いているのだ。選択は一生の間続く。そして、無数の選択を積み重ねることによって、私たちは自分というものを2つの可能性に振り分けている。1つは天的存在になる可能性であり、もう1つは地獄のような存在になる可能性である。
前者は、神や隣人との調和に生きる道である、後者は、神や隣人と敵対し、自分自身とも敵対して生きる道である。前者のような道を歩むことは、天国を経験することである。それは、喜び、平安、知識、力を体験する道である。後者の道を歩むことは、狂気、恐れ、愚かさ、怒り、無能、永遠の
孤独を経験することである。
私たちはみな、その2つの可能性のいずれかに向かって前進しているところである。
タグ:キリスト教
posted by seisyo at 20:57| 聖書

2011.02.18

神の主権と人間の自由意思

神学者のR・B・カイバーは、カルビン神学校の客員教授時代に、以下のような例話を語った。これは、神の主権と人間の自由意思を説明するためのものである。
天井につるした滑車から2本のロープが下がっている光景を描いてほしい。
神の主権と人間の自由意志の関係は、ちょうどこの2本のロープのようなものである。もしその滑車にぶら下がりたけれぱ、2本のロープをつかまねばならない。もし1本だけなら、どちらをつかんだとしても、下に落ちてしまう。
聖書を読むと、神の選び、予定、選びの民、などなどの教えがいくつも出てくる。と同時に、「だれでもわたしのもとに来るなら」というように、人間の責任に訴えるような教えも出てくる。一見矛盾に思えるようなこれらの点は、限界のある人間の知能では調和させることができない。私は、幼子の信仰をもって、2本のロープにぶら下がることにしている。そして、永遠の世界に行ったなら、その2本のロープは1つのものであることが明らかにされると確信している。
posted by seisyo at 22:58| 聖書